三年生のみなさんが、ホームページを見ることがあるということなので、今回三年生のみなさんに問います。
学校は、「自ら学ぶ子、自ら考える子」を育てることをめざしてきました。簡単に言うと、「自主性」です。ところが、今は違っています。「自主性」よりも「主体性」が大事だと言われるようになりました。「自主性」とは何か、「主体性」とは何か、どう違うのかを考えています。
「自主性」というのは、やらなきゃいけないことは決まっていて、その決まっていることについて、人に言われなくても率先してやるってことです。例えば、「自主学習」ってあります。それは、学校が「自学をする」という宿題を出して、自学をすることは決まっていて、その中身については自分で考えられるという宿題です。「自主学習」という呼び名はぴったりです。
「主体性」は、やるべきことが決まっていません。自分でやるべきことも見つけたり選択したり考えたりして、進んで行うことです。同じく勉強で考えてみると、今の自分にどんな学びが必要かを自分で考えて、宿題でもないのに進んで行うような勉強です。また、これはわたしのイメージですが、自分が本当に知りたい、やってみたい、そんなことをとことん追究するような学びのことです。
「主体性」をめざすのは、そのような人を社会が必要としているからです。やるべき仕事は決まっていて、それを真面目に丁寧に間違えずに誠実にやれることはもちろん大事なことですが、自分で考えて、自分で判断して、自分で行動できる人、自分から何かを創り出すことができる人、アイデアを生み出せる人、そのような人を社会は求めています。真面目に丁寧に間違えずに、そのような仕事は、徐々にAIへと変わってきています。
わたしたちは、「子供たちの主体性を伸ばす」ことを意識し、学校教育を考え直しています。「させる」がどうしても多くなってしまいがちな学校の当たり前をできる限り変えていくのです。まだまだ「させる」が多い学校だらけです。牧之原中学校も、多くの「させる」があります。
みなさんは、いずれ、自分のコントローラーで生き方を決めていきます。右か左か、進むのか休むのか、自分で決断し生きていきます。自分で決めるという瞬間は、次々にやってきます。子供時代に、自主的にがんばれた子、さらにその上の主体的になれたという経験がたくさんある子は、右か左かきちんと自分で決められるはずです。進んだ道が、間違った道であったことに気づいたら、自分の考えで引き返すことができるはず。
さあ、三年生に問います。みなさんは決められていることをちゃんとやろうとする心である「自主性」がありますか。自主性があることは大事です。それとも、さらにその上をいく、自分で考えて何をすべきかを考えられる、「主体性」の人ですか。