どんなにいい学級でも、どんなに優しい子供たちであっても、子供たちの生活のちょっとした場面で、友達が嫌がるようなことを言ってしまうこと、友達が嫌がることをしてしまうこと、やっぱりあるんです。友達とけんかやもめごとがあって、しばらくの間お互いに距離を取り合うこと、なんとなく話しづらくて無視をしてしまうこともあります。
いじめ防止対策推進法が制定され、いじめに対するちゃんとした法律ができて、その内容を保護者のみなさんも知るようになってきました。本校は、学校の方針についても、ホームページでしっかりと公表していますから、その内容を目にされた方もいらっしゃると思います。いじめ法では、いじめの定義は、「心身の苦痛を感じているもの」とあります。この言葉から、保護者の方や世間の考えは、「本人がいじめと思えばいじめだ。」という主張があります。「先生、どうなんですか。学校はこれをいじめと認めるんですか。」と、迫られたことは何度もあります。でも、わたしはいつも思っています。いじめの認定よりも、実際に苦しんでいる子が目の前にいるのなら、その子を助けるためにどうしたらいいかを考えたいんです。いじめかどうかということについて、時間をかけるより、いじめを認める認めないではなく、責任を取る取らないではなく、困っている子、傷ついている子をどうしたらすばやく助けられるかを保護者の方と一緒に考えたいです。
わたしたちは、いざいじめが起こってしまったとき、その解決に向かって協力し合うパートナーのはずです。親の育て方が悪いからとか、先生が気づかないのが悪いとか、そういうことを言い合っていては、何も解決しません。大急ぎで、全力で、苦しんでいる子を助けることを最優先。そして、いじめてしまった側の心がちゃんと変化していくことにも大人は総力を挙げて取り組みます。