牧之原中学校を卒業した子供たちは、20歳になった時に、牧之原中学校の体育館で成人を祝う会を行っています。その式に、参加をしたことがあります。
みんな素敵な若者になっていました。気さくに「せんせーっ。久しぶりーっ。」と来てくれる子がたくさんいました。
その中には、小学生時代、おしゃべりが得意ではない子もいました。授業中、発表をすることはほとんどありません。友だちと相談タイムになっても、自分の思いを伝えることができません。顔が真っ赤になって、うつむいてしまうことが多かった子です。その子の声を聴いたことがありませんでした。どうすればこの子がのびのびと話せるようになるかと、いろんなことをしました。「教室はまちがえるところだ」の長い長い詩を教室にはって、答えやすいような問題を投げかけ、興味がわくような工夫をしたり、話し方の基本形を教えてみたり。声を出すことが平気になるように、詩の音読を国語の授業で取り入れ、となりの人とのペア学習をしてみたり。まずは考えをノートに書いてみるようにしたり。ちょっとのことをほめたり。本人にも、「大丈夫だよ。」「安心して。」「自信を持って。」いろんな励ましもしました。でも、その子の声を聴くことはなかなかできませんでした。
成人式の日、その子も来ました。驚くほどたくさんしゃべりました。その子のたくさん聞いたので、この式に来て良かったと思いました。
その子は言いました。
「びっくりしたでしょ。わたし、子供の頃は話すのだめだったから。」
さらにこう言いました。
「本当はみんなと話がしたいなぁと思っていたよ。先生や友だちが、わたしのことを考えて、いろんなことをしてくれてたことも分かってたよ。」
その子は、中学生になってからもおしゃべりは苦手だったようですが、高校生になってがらっと変わったそうです。ある日突然、平気になったそうです。気が合う大親友ができたことがきっかけです。
恥ずかしがり屋さんで、おしゃべりが苦手で、発表がなかなかできない子もいます。でも、あわてなくてもいいんだなと思いました。いつか、話せるようになる、その日は必ず来る。その日のために、「いつか話せますように。」って、今はせっせと種をまけばいいんだ。無理矢理話をさせなくてもいいんだ。
朝、校門に立っていると、子供たちが挨拶をしてくれます。でも、全員ではありません。まったく声が出ない子もいますが、それでもいいです。いつか、挨拶ができるように、わたしたちは挨拶の種を蒔き続ければいいんだ。子供たちがいつか自分から「おはよう。」と言える日を待てばいいんだ。
1人1人の顔を見て、1人1人に向かって、「おはよう。」と言って、そんな地道な種まきをし続けます。
話せない子がクラスにいたとき、何とかしようと焦りすぎていた自分。挨拶ができない子がいたら、すぐに結果を求めて、「挨拶しなさい。」と指導していた自分。焦る必要はなくて、いつか口が開くように、いつか挨拶ができるように、決して焦らず、せっせせっせと種を蒔く、それがわたしたちの仕事。